真の研究者とは

5〜7分

いい季節だが、晩秋は何か物悲しい。この世界は輪ゴムのようであり、ずっと歩いた先は元に戻るようにできているのかもしれない。

企業の研究にはニーズ研究とシーズ研究とがある。独創的研究など存在しない。独創的研究とは、白紙の紙に筆を入れるような学問のことで、シュレジンガーのような天才にしかできないものだ。ニーズ研究は顧客が求めることをやることであり、ウオンツ研究は、今の製品の改善ということで、技術のコピーなどもこれに当たる。シーズ研究とは現在の市場の要求の無いようなものを研究することである。短期的成果を求めるにはニーズ研究の方がいいが、やりがいからすればシーズ研究の方が大きい。言い換えれば、いま目に見えるテーマがニーズ、いま目に見えないテーマがシーズであるともいえる。

石英ガラスにおいて、欧米が独創的技術を開発し量産化をしていた。日本はと言えば、東芝セラミックスはその技術を導入したり、コピーしていた。私が入社した45年前はまさにそういった時代であった。入社してすぐ開発した低アルファー線フィラー材は、その当時のニーズにはなかった。営業も、技術も、経営者も全く理解できなかった。ある人はこういった。「当社で世界的新製品など開発できるはずがないと思っていた」。電気分解法の低アルカリ石英ルツボも、営業次長が「こんなもの売れるわけない」とまで言った。透明層付き石英ルツボは、入社して6年目だったので、そんなことは言われなかったが、これらの技術が今も使われていることを考えると、完全なシーズ研究であったことがわかる。

これらシーズ研究の土台には、幅広く深い知識が必要とされるだけでなく、企業風土が必要だ。1990代の日本は新しい製品開発が盛んで、海外技術の模倣を止めようという時代だった。事業部に開発部があり、事業部と並ぶ中央研究所がいろんな会社にあった。中央研究所がシーズ研究を、開発部がニーズ研究を担当していた。財力にも余裕があったからできたことだ。しかし、バブル崩壊によって中央研究所はなくなり、開発部はウオンツ研究になった。リストラが横行し、技術者は放り出された。これが日本衰退の道であった。

中国は日本より40年は遅れている。中国ではまだ中国独自の技術はない。短期的利益が優先しているからだ。しかし、中国は独自技術の開発の必要性を感じている。すなわちシーズ研究の重要性を認識しているのだ。だがシーズ研究は組織でするものではない、ニーズ研究は、人、物、金でできるが、シーズ研究には、無駄、自由、非常識が必要なのだ。

日本は長い冬の時代、春は来るのか?中国は春の時代、夏は来るのか?この世界が輪ゴムのようであれば、そうなるだろうが、未来は誰にもわからない。でも未来を考えながら現在を生きる。そんなことが必要なのだと思う。

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