ずいぶん昔の話だが大学院を出て、東芝セラミックスに入社した。私は有機合成を大学院でやったが、就職難でコネでここに入った。自分はコネを利用したわけではない、工場のある小国で父は議員をしていた。私は大学院中、就職活動をしたわけではなかった。受けたのはここ一社だけだった。実は父が胃がんであることが発覚してそばにいたかっただけだった。人生はいろんなことがあって、その時の判断を誤ってはいけない、そう思った。幸運にも父は転移していたがそれから20年生きた。有機合成の研究からセラミックスの世界に、土方のような世界だと感じた。大学院の研究をした者が現場の技術者だ。カルチャーショックを受けた。でも私はその中で自分というものを常に考えていた。人から見れば、大学院卒のエリートである。でも昼は現場の中で仕事をし、時間額れば図書館に入り浸る。そんな生活が続いた。こんなところで埋もれてはいけない、革新的な技術を探しながら、現場の連中から吸収できるところはすべて吸収した。モノづくりだって私の方ができる。そして入社2年目で画期的な製品を生み出した。低α緯フィラー材だ。自分で装置を設計し、自分で作り、売り込んだ。今から45年前の話だ。低アルファー線フィラー材なんか宇宙への飛行船しか必要とされない時代だ。それから次々に世界で初めての製品を作った。自分のいいところは、発想、自分で装置を作り、サンプルを顧客に送る。全部できることだ。現場も自分を認めてくれて、一緒にやるようになり、現場の力も上がった。その当時、技術者は自分で物が作れ、現場と一緒にやることができた。そういう時代、日本が強かったのはそういうところだ。技術が暴走せず、現場が暴走せず、おたがいが尊敬してやるような関係があった。もうそんな時代は来ないだろう。
私の技術や人生はもう日本にはない。もう昔と違うのだ。と思う。