エリートの犯罪

4〜6分

政治家の不祥事は後を絶たない。これは政治家自身が選民家意識を持っているからである。選挙で国民から選ばれたから選民といっていいだろうが、基本的に議員は国民に仕える立場である。これを忘れ、私利私欲に溺れる。

この社会に、自分がエリートであると思い込んでいる人は多い。高学歴の人、大企業の社員、上級公務員、官僚。こういう人は他者を見下す傾向にある。外面は柔らかでも内心は他人を馬鹿にしていることも多い。こういう人は縦社会の階層で差別的な行動をとりやすい。特にこういう人は議員でも会社員でも肩書を欲しがり、組織の力を自分の力のように装う。したがって勘違いをしている人が多く、犯罪であっても自分の権利のように正当化する。「魔が差す」これはエリートが犯罪を犯したときのいいわけだ。自分がエリートだと思っている人はストレスが大きい。その犯罪の高い壁を乗り越えるストレスがあれば人は「魔が差す」

私はエリートではない。若い時には劣等感を持っていた。医学部受験の失敗、二期校への入学、失恋、大きな挫折があった。会社に入ってからは、大学院を出ても現場での泥臭い仕事と新規の開発を両立した。運よく世界初めての新製品を出すことができた。自分がエリートでないと思っていても、他者の目はそうではなかった。私は驕ることを恐れ、会社を移った。今の自分を捨てるどころが、周りまで変える、それが自分を成長させることだと思った。「初心に還る」誰もが言う言葉だが、「言うは易し行うは難し」である。

私は若いころは変人と思われていた。(今もそう思われているかもしれないが)会社を変わるのはすぐ飽きるからだと思われていた。今の自分を守るような人に、私のような生き方は理解できないだろう。こういう生き方は子供の時に身についたものだ。3人兄弟の末っ子として生まれた私は、上の二人とは違って、父の農業の手伝いや商売の手伝いをさせられた。勉強など全く期待されていなかった。失敗してもその頃の自分に戻ればいい。そういう思いがあった。

「保身」その言葉は私には無縁だ。自分自らがが崖から飛び込み、また這い上がるような生き方と真逆の発想だ。人生の最終目標とは何だろう。歳をとって分かったことがある。最後は社会への貢献だ。それを目指すことが良い人生を完結できる。そう思えるようになったことは良かった。人生に後悔はある。しかし、その後悔より希望の方が大きい。花粉症になんか負けてたまるか。

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