二つのプロジェクトが同時進行中なのであるが、順調に進んでいないところがあった。私はすべての装置の仕様、メーカー、見積書などを去年10月に提出済みだったのだが、発注していない装置があったり、工場建設があまり進んでいなかった。それも先方から進捗の連絡がなかったので、私としても何もできなかった。ずいぶん昔、韓国で石英ルツボ工場を作ったことがあった。みんな素人でうまく売れなかった。その当時キムが通訳としていたのだが、彼が全部私にやってもらいたいということを提案してきた。それを聞きつけた副社長が、契約の破棄を言ってきた。私は簡単にやめると返事した。そういうことがあったので、私は技術コンサルタントとして顧客内部にはあまり入らないようにした。AQMの時は、董事兼総経理だったので自分で決めてできたわけだが、コンサルタントはそこまでの権限はない。
ということで、今回私が中心となって打合せを実施することにした。どうせうまくいけば私は外れるわけだし、彼らのためにもなるだろう。いつも知っているのは私だけ、あとは素人だ。工場建設は直接指示しなければできるものではない。特に、中国人や韓国人は言ったとおりにやらないことが多い。そして言い訳が多い。
私は多くの工場を建設してきた。それも一人でだ。一人でそれをやるにはすべての知識が無くてはできない。化学、物理、設備、電気、そのすべてに精通しなければならない。そいうことができるのはもう私が最後だろう。それは楠和クオルツにいたことが修行になった。私の開発部は独立採算でやっていた。企画、プラント建設、製造、評価、営業すべてやった。あの頃は寝るのも惜しんで働いた。倉元製作所の時はみんな素人を集めてプラントを作り生産したし、営業もやり、中国に技術を与え、生産したものを日本に持ってきて販売した。組織などくそくらえなのである。「君はカリスマだ、企業に合わない」と言われ続けた人生だったが、それはそれでよかったと思っている。
私は、工場建設のようなことが好きだ。出来てうまく生き始めると私は離れて、また別なところでやる。ある人は「飽きっぽい」というが、私の脳内ホルモンが普通のことでは出ないのだ。人のまねをしてお金を稼いでもむなしいだけだ。独創性に勝るものはない。私の人生は新しいことをやってきた、もうそういうことに慣れてしまった。常に刺激を求める。かと言ってイーロン・マスクとは違う。欲がない。彼のような野望がない。