生物はいつか必ず死ぬ。避けられないことである。しかし、生きている間は死ぬことを意識しないでいる。最近はがんの告知が普通になっている。国民の半分がガンになる時代、余命宣告を受ける人も多いだろう。これはもう死を意識しないではいけない。その時、人は何を思うのだろうか? 死ぬおおよその時期が分かったなら、死ぬまでにやっておくことを計画し実行しようとするだろうか?絶望し何もしなくなるだろうか?
人が不安になるのは、いつ死ぬかわからないからでもある。もし生まれた時に、あなたの寿命は80年とわかっていたら、計画を立てその計画通りにやろうとするかもしれない。死んだら何も持っていくことができないから欲望もほどほどになるだろう。
私は以前は犬も猫も人も同じと思っていた。でも最近はなんか違うと思っている。それぞれの人はそれぞれの目的をもって生まれてきた、しかし人間社会はそれを邪魔している。この社会には欲があり、その欲によって本来の目的が達成できなくなっている。寿命が分からないのも目的を成し遂げられない理由となっている。しかし生死感を持つ人は欲にかられることなく、その人に与えられた目的を実行しようとする。
妻子、珍宝、及び王位、命終の時に臨みてしたがわず。
(漢文:妻子珍寶及王位 臨命終時無隨者)
死ぬときは裸一貫で死ぬ。ではなぜこの世界で生きる意味があったのかと思うだろう。それは本来与えられた目的とは違うことをしてきたからだ。人にはその人に与えられた目的があると言った。それをやっていれば、その人が死んでもそのことはこの世界に残ることだったのではなかろうか?
孤高とは俗世間から自分を離して生きることである。それは自分に与えられた目的を実行するための生き方である。仏陀はこの命の長さは瞬間でしかないと説いた。人生を短いと悟ったものがこの世の欲を無視し、本来の目的を理解して生きることができるのであろう。