2005年、50歳の時だった。8月に自分の会社を作り、10月に中国に来た。まる19年が過ぎた。普通の人にとってみれば大きな決断だったが、私にとってはそれほど大きい出来事ではなかった。大学院を卒業して東芝セラミックスを皮切りに、信越化学、旭硝子、楠和クオルツ、倉元製作所と5社務めた。大きな会社にいた時の違和感が常に私を苦しめてきた。大きな転機は楠和クオルツに移った時だ。私は製造、技術、品証を兼務し、世界の顧客を相手にした。海外に行くことで自分の目が開いた。50歳で独立というのは少し遅いかもしれないが、経験が豊富でないと難しいシーンを乗り越えられなかったと思う。
やはり、独立と中国に来たのは大きな二番目の転機だったと思う。私は自分の人生が好きだ。それは後悔しないように自分で自分の人生を決めてきたからだと思う。人生は死ぬまで修行である。向上心こそが自分を前に進ませる原動力だ。
独立、そして中国にきての20年が始まった。私は最後の仕事にとりかかっている。私の技術者としての集大成だ。そしてこれは社会に対する恩返しでもある。70歳、まだまだ若い人には負けない体力と経験で走り続けるつもりである。これは私の第三番目の転機かもしれない。