故中曽根康弘元総理大臣

5〜8分

1918(大正7)年5月27日、群馬県に生まれた中曽根康弘は、元号が令和に改まったばかりの2019(令和元)年11月29日に物故した。享年102(満101歳)、老衰だった。大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた唯一の内閣総理大臣である。  幼少期、住み込みの女中が20人もいたという大きな材木商の長男として育った中曽根は、戦中の内務官僚から戦後に国会議員となり、没するまで東京・世田谷区上北沢の豪邸に住んだ。  実はその豪邸は、長嶋茂雄が中曽根に月額40万円の家賃で貸していた借家だったという逸話も、政界で知られたところである。政治家たるもの、持ち家に住むべきではないという信念を貫いてきたという。  1980年代の行政改革を率いた中曽根は、国鉄民営化をはじめとする欧米の新自由主義を政策に取り入れた先駆者である。

 「晩年の妻蔦子さんは、秘書の太田英子さんをはじめ、中曽根先生の女性関係に焼きもちを焼いて大変でした。上品な方ですから決して露骨な物言いはしません。けれど、ことあるごとに『主人はすっかり太田さんにお世話になっているのよ』と皮肉っぽい愚痴をよく聞かされました。  中曽根先生はほかにも赤坂の料亭『金龍』の仲居さんなんかを可愛がっていて、蔦子さんは亡くなるまで彼女たちに嫉妬していました」 「中曽根先生は95歳までゴルフをしていました。たいていハーフだけで終わりでした。ゴルフバッグにはアイアンが入ってなく、ぜんぶウッドでした。ボールがグリーンに乗るとOK」  親しい財界人を囲む5月27日の誕生日会は99歳まで続いた。  「96歳の誕生日会まで、場所は築地の吉兆でした。そのあとは吉兆の料理人が東麻布に寿司屋を開いたので、そこに場所を変えました。99歳が最後の誕生日会でした。そこから具合が悪くなって入退院を繰り返すようになりました」

孫の衆議院議員、中曽根康隆氏は「私はまだ幼かったので政治資金にかかわることについてはわかりませんが、孫個人として祖父を見た場合、金銭はおろかまったく物欲のない人でした。身に着けているものも安物ばかりで、いつもボロボロの財布にクチャクチャのお札が入っていた。病室は個室でしたけれど、ベッドと机、ユニットバスがある程度で、それほど広くもありません。映画に出てくるような豪華な特別室などでもなく、祖父はそれを望んでもいなかったと思います」

101歳で老衰で亡くなったが、99歳まで元気だったと聞くと理想の生き方だと思う。金や物欲がなく、女性に愛され、国家の重要な政策を実施した。まあかなり脚色が入ったとしても、小説の主人公としてみればいい人生を生きた人だと思う。

今の政治家は金欲や物欲が多く、女性も妻以外はいてはならないなど、なんとつまらない人生なのだと思う。だから良い仕事ができない。今の日本にある多々ある難問に対し、誰も解決法を示さず、何にも実施しない。その割に議員としての権利だけを主張する。既に議員から公務員に成り下がっていると言わざるを得ない。

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