天才とADHD

3〜4分

ADHDの子供は社会に受け入れられがたい。ADHDの症状など教師や親は否定するからだ。私は3人兄弟の次男として生まれ、期待もされず、家業を継げばいいと思われていた。体が弱く、病気月で20歳くらいで死ぬだろうと保険を掛けられた。そんな幼少期を過ごした私は、内向的で人みしりだった。小学校の低学年では常に知ったかぶりと言われた。普通だったら知らないことを知っていたからだったが、年相応という何かわけのわからないルールがあった。小学校の高学年になって、自分を認めてくれる教師と会い、私は自分で学ぶことを正当化できた。中学校時代などはライバルなどいなかった。

大学時代は哲学に傾倒する日々だった。勉強などしなくても成績は良かった。ADHDには哲学が必要だ。生きる意味を求めることが重要だと思う。自分の人生に苦しみ、その中から本質を見極めるのだ。それができるのが、ADHDであり、天才なのだ。

それをさせないようにするのが、法律であり、ルールだ。しかしADHDにとってそんなものは関係がない。守らない者を変人と呼ぶが、彼らは本質にたどり着けないようにしているのだ。

この世界は自分自身が作っている世界で、自分の行く手に、多くの邪魔者が現れる。親であったり、肉親であったり、教師であったり、上司であったり、政治家であったり、法律家だったり。それを押しのけて生きることはパワーがいるが、ADHDにすれば問題がない。この世界はそんなゲームなのだ。

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