倉元製作所

3〜5分

 10日に倉元製作所の第三四半期の決算発表があった。売上45億円、経常利益-3.02億円で、2023年通期では6.5億円、-4億円とのこと。同業のジオマチックを見てみると、経常利益は―3.38億円と苦戦している。この業界は中国、韓国に支配されている。もうすでに日本の影は薄い。

 日本の液晶が韓国、台湾、中国に抜かれた原因は、クリスタルサイクルにあると私は考えている。日本の経営者は故郷の時に投資を決断するが、設備ができた時には市場は冷え切っている。逆に韓国の経営者は低迷期に投資し、好況時にはフル生産を行った。この経営姿勢の差が出た。

 さて倉元製作所の話題を移そう。倉元製作所は1975年鈴木忠勝によって創設された。液晶用のガラスの切断・面取りをしていた。1990年からの液晶ブームで一気に事業を拡大し、1995年にジャスダックに上場した。倉元製作所が大きく傾いたのは、創業者が亡くなり、息子の鈴木聡が社長になったころだった。2005年、倉元はショット組んで韓国に会社を作った。これがうまくいかず多額の損失を出した挙句に撤退。それからは関連会社の売却が始まった。2018年倒産。

 1998年。山一證券が倒産した。仙台支店にいた社員が倉元製作所に移った。そこから投資や買収が増えた。一加工業としてやっていればよかったのだろうが、そこからは上場によって得た資金をじゃぶじゃぶと投資や買収につぎ込んでいった。あっという間に借入金が増えた。液晶がダメになったら廃業する。そのくらいの気持ちが経営者にあってもよかった。加工屋とはそうしたものではなかろうか。加工屋は加工屋。良い技術者など集まるはずもない。

 私は2023年から2005年までここに在籍したのだが、ここにいてよかったのは、中国とのパイプを築けたことだ。これからは中国だと思った。2005年、私は50歳で独立を決意する。

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