カリコ氏ノーベル賞

5〜7分

「今年のノーベル生理学・医学賞の受賞者は2日、生き物の遺伝子の一部「メッセンジャー(m)RNA」を使ったワクチンの新時代の基礎を築いたカタリン・カリコ米ペンシルベニア大特任教授(68)らに決まった。共産主義体制の東欧ハンガリーから米国に渡った研究者で、その研究人生は平たんではなかった。
カリコさんは1955年にハンガリーで生まれ、「科学者など見たこともない」という田舎町で育った。ハンガリーの名門大学で生化学の博士号を取得し、研究者として歩み始めた直後に最初の転機が訪れた。
経済の行き詰まりなどから海外の学会に出席することが認められず、研究資金も途絶えた。既に結婚して長女がいたカリコさんは、30歳で米国に研究拠点を移す決断をする。
車を売って闇市で両替した900英ポンドを長女のぬいぐるみに隠し、片道チケットで「鉄のカーテン」を越えた。当時は一定額を超える外貨の持ち出しが禁止されていた。米国の大学で研究職に就くと、研究者として生き残るために「地獄のように働いた」と振り返る。
しかし、mRNAを治療に役立てようとするカリコさんの発想は評価されず、降格も経験した。外部からの研究資金を得られず、研究費を同僚に依存する日々が続いた。
「いつか成功すると信じて、共に前に進む同僚たちの存在」が不遇の時代を支えたという。その一人が、共同受賞が決まった米ペンシルベニア大教授のドリュー・ワイスマンさん(64)だった。2005年の共著論文は、mRNAを体内に投与する際に起きる免疫反応を抑制するメカニズムを明らかにした。
カリコさんが「早すぎた」と言って笑うように、発表当時はほとんど注目されることはなかった。 ところが、その成果はバイオベンチャーが主導するmRNA医薬の開発競争の号砲を鳴らす。13年にカリコさんを迎え入れたドイツのバイオ企業「ビオンテック」は、その先頭集団に立つ。
同社が米製薬大手「ファイザー」と共同開発した新型コロナウイルスワクチンの治験で高い有効性が確認されると、カリコさんは米国の自宅で、好物のピーナツチョコを箱ごと抱えて1人ひそかにお祝いした」
受賞は当然と言えば当然なのだが、ワクチンの副作用の検証がないうちに受賞するというのは、これまでのノーベル賞の歴史からすると早くなったイメージである。カリコ氏は私と同じ歳である。ポーランドからアメリカに渡ったのが、1985年。すごいものだ。その頃のアメリカは研究者や起業家にとってあこがれの国だった。日本人にとってアメリカは短期留学先であった。日本に勤務先があり、アメリカで研究の種を見つけ、日本に帰って研究をすることが多かったように思う。カリコ氏のように一方通行の場合は生き残りをかけた戦いになる。真剣度が違う。今回は運も味方した。ワクチンは短期で承認され、世界中に広まった。人生は何が起こるかわからない。

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