水俣病に罹患したにも関わらず、住んでいた地域や年齢などで水俣病特別措置法の救済対象から漏れたのは不当だとして、熊本県や鹿児島出身の128人が、国と熊本県、原因企業である「チッソ」に1人あたり450万円の損害賠償を求めた裁判の判決で、27日、大阪地裁は、原告全員を水俣病に罹患したと認定しました。その上で、賠償額については、請求の約半額となる1人あたり275万円としました。
水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認された。阿賀野川流域の水俣病については、昭和40年(1965)5月に患者発生が報告され、その年の7月には26人の患者とそのうち5名の死亡が確認された。この原因は、チッソと昭和電工がアセトアルデヒドを製造する際に使用した水銀触媒の副反応で精製するメチル水銀が海や川に流れ込んで、その魚を食べた住民が発症したものだ。
昔、水銀はいろんな産業で使用されていた。もっとも有名なのが金の精製だ。その無機水銀は酸性でメチル水銀に変わり食物連鎖に入る。また電気分解で塩素と水酸化ナトリウムを作る時にも使われていて、海に大量の水銀を含む排水が放流されていた。
かつての大企業チッソは、今では補償金の支払いのために生かさず殺さず状態が続く。年間53億円の補償金を払えず、国が立て替えている。
チッソが被害を大きくした原因は明確である。水俣にアルデヒド製造工場を建てたのが1932(昭和7)年である。実は1942(昭和17)年の時点で、工場排水を原因とする大規模な漁業被害が発生している。チッソは翌年1月に補償金を支払った。しかし、チッソは、補償こそするものの、あくまで、問題の原因が自分たちの排水にあるとは認めなかった。
もし、このときから真摯に「発生源対策」を行うという姿勢を有していれば、水俣病もこれほど大きな問題にはならなかっただろう。具体的に事態が表面化したのは1950年代前半で、きっかけは猫だった。記録としてあるのは1953(昭和28)年、水俣の猫が狂い死にするケースが出てきた。発生当時、その姿から“ネコおどり病”といわれた。
このような猫の狂い死にが相次ぎ、1955(昭和30)年には、水俣市の茂堂・月浦地区の猫が全滅するという事態にまでなった。しかし、チッソは自分たちの排水が原因であることを決して認めなかった。
日本が高度成長期を謳歌していた時代である。政府も自治体も止まることを知らず、それが公害病をここまで大きくした。水俣病の裁判が一段落してもこういうことは決して変わることはない。企業組織は都合の悪いことを隠蔽し、トカゲのしっぽ切りをするだけだ。これを根本から変えるには縦割り構造を廃止することだ。もしそんなことをすればバラバラになるじゃないかという人もいるだろう。しかし縦割り組織で人を管理しようとかというようなことをやっていては、いつまでたってもこういったことはなくならないのではないだろうか?中間管理職を排除し、哲学的、技術的、経営的に優れたリーダーの下、横割り組織によって運営することこそ、日本を変革する方法ではないか。