「エンゼルスのミナシアンGMは米国時間23日、レッズとのWヘッダー後に大谷翔平投手が今季残り試合に登板しないことを明言した。右肘の内側側副靱帯損傷のためで、今後については「セカンドオピニオンを受け、手術を含めて今後について決定する」と発言。最悪、右肘に2度目のメスを入れる可能性があることが明らかになった」
最近の大谷を見ているとかわいそうになった。エンゼルスどころかMLBを引っ張っていかなければならないという責任感が痛いほど見えた。ほかの選手はけがで休養を取っているのに彼だけが出続け、最後には重大なけがをした。しかし、それでも出続けるという。願わくば、最先端のIPS細胞を使った靭帯再生をしてでも二度目の手術は避けたいものだ。慶応大学で研究が始まったが、国家プロジェクトにして早急に大谷を治療してほしいものだ。
8月の最後の週に、中国石英協会の年会があるので参加しないかとお誘いが来たが断った。最近はいろいろなコンサルタントの依頼が来るが、それも断っている。もう高齢なので、小銭を稼ぐようなことはやめて、自分のライフワークを実現するような仕事をしたいと思っている。石英の技術者として、おそらく世界で最高齢だろうから慎重に仕事を選ぶことはいいことだと思っている。「晩節を汚さず」 歳をとると欲が無くなる。これはいいことだ。しかし社会では晩節を汚した老人がなんと多いことか。
江戸時代に神沢杜口という人がいた。彼は40歳頃に、それまで務めていた京都町奉行所の与力を退職し、娘婿にあとを譲った。44歳で妻に先立たれ、末娘の一家との同居をすすめられるも、別々に住んで時々会うほうがうれしい心地がすると言って、京都の下町に住んで市井の人となった。杜口はこの市井の一人暮らしの見聞をもとに『翁草』200巻を書き上げた。人生の後半は、健康で多くを望まず、ライフワークを持つことで幸せになれる。そういう生き方こそ、「晩節に輝く」人生なのだろう。