中国大学生の就職難

5〜8分

 そろそろ中国では卒業シーズンであるが、大学生の就職は困難を極める。本科生(学部生):24.1%、研究生(大学院生):40.66%、全体合計:32.80%となっているが、実際に就職できるのは20%程度だと言われている。小中高と勉強に励み、競争に勝ち抜いて大学に入学するが、競争から解放され、大学生は遊びにふける。そんな調子で、一部の学生を除き、学力など低く、小中高で学んだことも忘れている。企業は即戦力を欲しがるため、大卒は敬遠される。運よく就職してもプライドがあり現場に入るのを嫌う。
2023年3月16日付の中視網は、『「孔乙己文学」の背後にある焦慮を直視する』と題する記事を報じた。『孔乙己』は中国の作家、魯迅が1919年に発表した短編小説であり、その題名となった「孔乙己」は主人公の名前である。
当該記事が文頭に挙げたのは、ニックネームを「失意の書生」と名乗る人物がネットに投稿した「学歴は出世の手段であるだけでなく、自分では下りられない高台でもあり、孔乙己が脱がない『長衫(ちょうさん)』である」という文章であり、この文章が中国の厳しい就職戦線に身を置く多くの若者たちの共感を呼んでいると報じたのだった。なお、長衫とは単衣で丈の長い男性用中国服であり、清朝末期には労働に従事しない金持ちや読書人が着用したことから、ある意味で身分の証ともなっていた。
孔乙己は学問がありながら科挙の試験に合格できずに終わった人物で、文人気取りで働こうとしない貧乏な読書人であった。乞食同様の生活を送りながらも、読書人の証である「長衫」を常に身にまとい、いつも人々にからかわれながら酒を飲んでいたが、困窮の挙句に盗みを働き、捕まって脚を折られた。脚を折られた孔乙己は一度だけ手で這っていざりながら酒場へ酒を飲みに来たが、その後は一度も姿を見せることなく年月が過ぎたので、恐らく野垂れ死にしたものと思われる。
魯迅が『孔乙己』を執筆した目的は、汗水たらして働いて自活することもできないのに、儒学に染まった読書人としての体面を守るために無意味な「長衫」を着て旧態依然な生活を送る人々を批判したもので、孔乙己の死は旧社会・旧時代の終焉を示したと言われている。
その点、日本の大学生は幸せである。ほとんどの大学生は就職ができる。しかしそれが本当にいいのかどうかは本人次第だ。中国ではアメリカと同様に起業が盛んだ。一部の人は会社から離れて自分で起業する。それがアメリカンドリームのようなチャーニーズドリームと称される。日本のジャパニーズドリームは一生公務員で定年まで過ごすことだろうか? 黒沢明監督の「生きる」は、市役所に勤める渡辺課長が末期がんになって初めて自分の使命に気づき市民が要望した公園を立ち上げる話である。死を意識して初めて気づくことがある。しかし、これでは遅いのだ。大学生時代にもっと本を読み、人生について深く考える、そして自分の人生の哲学を持つことが必要なのではないだろうか?

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