Chat GPTに関して議論が巻き起こっている。この議論はまだ続くだろうが、私の大学時代の関数電卓を思い出した。1972年ヒューレッドパッカードはポケットサイズの関数電卓を発売した。それに遅れること2年。カシオがFX-1を発売。大学では試験にこの電卓を禁止する教官もいた。しかし、対数やSin,Cosを簡単に計算できる電卓は魅力的だった。新製品は毎年驚くほどのスピードで発売され、2万円を切る製品がすぐ現れた。私も買って使っていた。
PCの時代になると、表計算ソフトが出てきた。MS-DOS上で動く、Lotus1-2-3、マルチプランは画期的であったが、私はマックの表計算ソフトを気に入っていた。今はWindowsのExcelがないと仕事ができない。
このように、計算などという無駄な労力を使わなくてもよくなった。Chat GPTも無駄な労力を削減するのであればよいと思う。Chat GPTがいくら進んでも人の独創性に勝ることはできない。したがって、我々のような仕事を取るなどと考えることなどない。
大学では学生が論文の宿題をChat GPTでやるのではないかと危惧しているようだが、そんな論文作成の宿題を出すことが間違っている。大学では、学生たちとの議論により、学生の創造性を引き出すことのほうが重要だ。
科学技術は、使う側に問題がある場合が多い。犯罪や戦争に使われることの内容に規制が必要である。これは認める。しかし、科学技術を否定する議論ではなく、この技術を正しく使う議論を優先すべきだ。以前、将棋界では棋士対AIの対戦があった。将棋界がこれを中止し、AIを棋士が勉強として使って、棋士同士が対戦するようにした。これによって将棋界は急速に進歩した。願わくば、人類がChat GPTを使って、繁栄し、戦争や犯罪などが起きない社会にしてほしいものだ。