中国は晦日である

4〜7分

 今日、中国は晦日を迎えた。明日が大晦日である。やっとコロナも3年にして終わりを迎えている。この3年間でコロナは我々に何をもたらしたのであろうか?
コロナが流行して家にいる時間が多くなった。これにより自分と向き合うことが多くなったのではないだろうか? 人類は生まれてから長い距離を移動し、世界中に散らばってきたのだが、農耕を通じて定住の道を選んだ。しかし最近は飛行機などの発達によりグローバル化が進んでいて、昔のように移動するようになっていた。それがコロナによって移動を制限された3年間だった。それは人類の未来にとって何を意味するものであろうか? それはもっと身近な問題に注力すべしということなのだろうか?
コロナにより、多くの高齢者や病気を持った人が亡くなった。犠牲になったのは、いわゆる弱者である。昨今は弱者救済が当たり前になっているが、これは神の意に反するものかもしれない。この世界は弱者が強者に食われるのが当たり前である。食物連鎖はこの地球上の生物の習わしなのだ。しかし、人が地球を制覇するようになり、地球の食物連鎖が崩れてきた。それと同時に地球の温暖化も起こり、生物は絶滅へと猛進している。
客観的にこの世界を見てみると、異常なことが多く見受けられる。戦争による人殺しが正当化され、そのための武器が高度化し、大量に製造されている。高度医療という研究者の自己満足のため多くの高齢者がベッドで体を動かせないまま生きながらえている。体には足という移動のための機関があるのに、飛行機や車を使って移動している。しつけ、教育というシステムは人の本来あるべき姿を洗脳し、自由な発想を妨げている。
このコロナ時代の三年間、我々は今の世界の異常さに気づかされ、将来どうあるべきかを探るべきだった。しかし、すでに人にはそのようなことを考える力はないのかもしれない。大量のネズミが川の中に飛び込んで自殺をするように、絶滅に向かって進んでいるように思える。我々にはもっと哲学が必要だ。人類がこの世界に存在する理由、人生の価値、目的をもっと深く考えるべきだ。
「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである」
アインシュタインの言葉だ。
我々は三年越しのコロナの冬をやっと乗り越え、春を迎えようとしている。しかし、その春は昔と同じ春であってはならない、コロナの冬の時の思いを深くかみしめるが故の新しい春であらねばならない。

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