一生に一度の人生

4〜6分

 生物は生まれてきて、やがて死ぬ。そんな一生ならば好き勝手に生きたらいい。でも人は横と縦のしがらみで自由に生きることを許されない。家族という単位を考えてみれば、DNAでつながっているという理由で、責任が生まれる。会社という組織の中では、お金という人が作り出したものでつながっている。人が生み出した手法は人と人をつなぐ強固な糸のようなものだ。客観的に見れば蜘蛛の糸に捕捉された昆虫のようなものだ。糸によって身動きが取れず、クモによって血を吸い取られて死ぬ。

 私の永遠の師は「ヘルマンヘッセ」である。ヘッセはこう言った。「私が大いに気に入っている徳が、一つだけある。それは《我がまま》…。たった一つの無条件に神聖な、自分自身の中の掟、「我(われ)がまま」なる「心」に従うのである。…神意にかなった我がまま…私が言うあの《我がまま》を備えた人は、お金や権力を求めない。…彼にとっては、自分自身の胸の中の静かな逆らい難い掟以外の何も生きていず、それに従うことは、安易な慣習に生きている人には果てしなく困難だ。だが、《我がまま》な人にとってその掟は運命と神性を意味しているのである」

 天に定められた自己の運命を真摯に受け止め、それに素直に従って生を全うすることである。ヘッセにとって《自己に生きる》とは、全ての桎梏から解き放たれた自由の中で、根源的な人生を生きることを意味している。天命を束縛と見なさずに、《真の自己》を生きる時、悩みと不安、困難、苦難を経て、いわば人生の酸いも甘いも知り尽くした上で、真剣な自己追求の結果、各人は各様の〈神〉を自己の内に発見すると言うのである。

 ヘッセの哲学は仏教に通ずる。苦しみ悩み、そして空になった瞬間にこの世のすべてが理解できる。家庭、会社、悩みぬいて到達した空の世界、それが生まれ、死すものの究極の目的なのだ。それがどうだ?今の社会は崇高な哲学を忘れ、己の利益のみを追求している人のなんと多いことか。これが人を劣化させ、絶滅に追い込むものではないだろうか。秋の夜、我々は俗世間を離れ、考えるべきことが多いことを自覚すべきである。

 

 

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう