中島みゆきの「地上の星」を聞いたらジーンとくるものがあった。ふと若いころを思い出した。確か私が29歳くらいの時だった。東芝セラミックスには化学技術部があった。トップの技術部長は小山さんという山大工学部の先輩だった。私も化学技術部に移るように言われたが、石英一課は私を離さなかった。私は小国の石英一課と九州川棚の九州セラミックスの仕事もやっていた。そこには石英焼結体とフィラー、石英原料のラインがあった。あるとき、小山部長が私を事務所に呼び出した。「九セラに石英ルツボ用原料評価のために酸水素溶融設備を立ち上げろ」というものだった。私は「酸水素溶融ではルツボ用の評価はできません」といったところ、怒られた。「ルツボの溶融速度が速いために評価できません」といわれて頭に血がのぼったのか、「お前はかねがね生意気だと思っていた」という。技術論で勝てないと思ったのかサラリーマンとしての適性の話になった。言い合いが続き、普通は30人くらいいた事務所が私と小山部長と二人きりになった。
おそらくその頃は私は絶頂期にいた。技術で私に勝てる人はいないと思っていたから当然、人の目には生意気に見えただろう。その時、私はサラリーマンでは生きていけない、そう思った。それなら独立するまでは修行と思うことにした。ここを出て修行の旅に出るのだ。
そして30歳の時、信越化学に移った。