永守重信 講演から

8〜12分

小さな頃から試験に追われる子どもたちの目標は、たいていは親や塾の勧める偏差値の高い大学、有名な大学に入ることである。
高校の進路指導でも、学部や学科選びの指導は二の次で、とにかく有名大学、すなわち偏差値の高い大学を目指すことが良しとされている。本人が何を学びたいか、どんな仕事をしたいかを教師と話すようなことは少なく、大学選びがもっとも重要視され、有名大学に入ることが推奨されるのだ。
これでは本人の学ぶ意欲や主体性は削がれてしまうのではないか。
また、希望の大学に入れたとしても、問題は社会に出た後である。
一流大学に合格することだけを目的として試験勉強に勤しんできた人は大学に受かった途端、ほっとして遊んでしまうことや燃え尽きてしまうことがある。
その結果、一流大学に入っても自分の専門分野をしっかり磨くこともせず、大事な4年間を無駄に過ごす人も多い。
一流大学を卒業すれば、そのブランド力で企業から内定をもらえるかもしれない。しかし、自分の専門分野もなく、自分が何をしたいかという目標もない場合、結局は「大企業だから」とか「安定しているから」という理由で企業を選ぶことになる。
それでは仕事への情熱は持ちにくい。自分から前向きに取り組むモチベーションも生まれてこないはずだ。仕事では辛いことも当然あるが、そんなときに「負けるものか」という気概も湧いてこない。
確かに30年ほど前までは、偏差値の高い有名大学を出れば、いい人生を歩めたかもしれない。
だが、この30年ほどの間に社会状況は激変した。グローバル化が進み、国境を超えたビジネスがかつてないほど盛んになっている。そのため、日本のビジネスパーソンにも世界水準の競争力が求められるようになった。
そうしたなかでは、自分の専門分野をしっかり学んできていない人や、仕事への情熱を持てない人が活躍することは難しい。また、一流大学を出ていても、英語を話せる人が少ないのも問題だ。英文科を卒業していても英語を話せない人もいる。
結局、今の日本ではたくさんの人が大学に行っているのに、世界で戦える力が育っていないのである。
一番かわいそうなのは、これまで一生懸命、周囲に言われるまま受験勉強をしてきたのに、社会に出た途端に「役に立たない」と言われてしまう若い人たちである。五月病になったり、うつ症状が出たり、会社をやめたくなったりしても当然だ。
しかし、今までたくさんの大学生や院生を採用してきたからこそ、私には今の若い人たちに何が足りないのか、なぜ元気がないのかがわかる。
受験で志望する学校の試験に受からなかったと言って落ち込んでいる人がいる。しかし、ちょっと考えてみてほしい。「人生100年時代」といわれる今、10代の皆さんにはあと80年前後の人生が残っているということだ。
もしあなたが志望する学校に受からなかったとしても、それで負け犬だなんておかしいとは思わないか。ずっと親の期待に沿うよう頑張ってきたのに、親の望む大学に落ちたら、10代で人生の敗者だなんて、そんなバカな話があるものか。
今うまくいっていないと感じたとしても、けっして負け犬ではない。むしろこれはチャンスだと思ったほうがいい。受験に向けて頑張ってきた力を、これからは自分のやりたいことに向けるのだ。
残りの80年を負け犬として生きるのか、それともここで一念発起して自分の生きたい人生を生きるのかは、あなたの考え方と頑張り方次第である。
今の若い人たちは覇気がないとか夢がないなど、何かと批判されることも多いようだ。私も厳しいことを述べることもあるが、本当のところは、今の若い人たちは捨てたものではないと思っている。
もちろん批判されるような人もいるけれど、自分の夢や信念を持ち、それに向かって頑張っている人もたくさんいる。
若い人に覇気がなく、夢がない人が多いとすれば、それは、そのように育てた我々おとなの責任だ。
若い時期には信じられないほど大きな潜在能力を秘めているから、何かのきっかけでやる気に火がつけば、体中からとてつもないエネルギーが湧いてくるはずだ。そして自分に自信を持ち、「自分には無理」と諦めていたときには考えたこともないアイデアや行動力が生まれ、その人にしか出せない力が一気に開花するのである。
若い人たちには、ぜひ夢を持ってほしいと熱望している。大きな夢でも小さな夢でもいい。自信を持って、その夢を叶えるために邁進してほしい。

 私も含め老人が思っていることであるが、まあ老害にならぬようにしなければならない。年老いたら若者を支える側になった方がいい。彼は後釜に一流大学卒、一流会社から来た人に一度は譲ったもののクビにして自分がまた返り咲いた。潔さがないと思うのは私だけ?

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