中国

3〜5分

 8月10日、1年半ぶりに中国に行く。2005年10月、私は自分の会社を設立してフェローテックと中国杭州市にAQMを作った。私が50歳の時だ。その頃の私は息子たちの大学費用や家のローンで稼がなくてはいけなかった。日本では限界がある。思い切って中国に行くことにした。不安がないと言ったら嘘になるが、私は十分に経験を積んでいる。できると思った。「やるなら今でしょ」

 私は転職を繰り返してきた。不安はなかった。一生懸命努力すればできないことはない。不安より希望のほうが大きかった。同じところにいると自分が努力しなくなる初心に戻れなくなるからだ。進歩は一度リセットすることで可能となる。50歳という歳は先が見えてくる歳だ、でも人生100年時代ではまだ半分だ。努力さえすれば新しい自分も見えてくる。そして50歳まではまだ修行なのだ。

 中国には昔の日本のような活気があった。巨大なエネルギーだ。この国はやがて日本に追いつくだろうと思った。それはハングリーだからだ。ハングリーさはそれだけでは何も生まれない。でも資金があれば大きな成功が待っている。私は一生懸命働き、濃密な人生を過ごした。中国の石英業界で私を知らない人はいない。

 しかし、私も67歳になる。誕生日は中国で過ごす。おそらくサイラスとクリスと3人でバーで飲むのだろう。会話は英語だ。ジョークで長時間飲む。私が望むことは、この石英を無公害にするまで働くことだ。いくら優れた技術でも人を不健康にしたり不幸せにするようではだめだ。よくお金持ちが引退して多額の寄付をするという話を聞くが、お金など多くいらないから人を幸せにすることをやりたいものだ。

 どこで死んでもいいと思う。畳の上で死にたいなんて思わない。誰かにみとられたいとも思わない。そんな父か祖父がいたということを子供や孫に覚えていてもらえれば十分なのだ。

 

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