『新失敗学 正解をつくる技術』から。
いまでも社会的には、「厳しい受験を勝ち抜いて難関大学に入った人=優秀な人」というイメージがあると思います。しかし、そうした「優秀な人」が時代の変化に対応できるのかというと少々疑問が残ります。
日本の学校教育は昔から、机に座って先生から多くの知識を受動的に学ぶ、座学による知識の詰め込み型の学習が中心でした。これはいまでもあまり変わっていません。最近ではアクティブ・ラーニングのような、子どもたちが自ら考えて動きながら学ぶ能動的な学習方法の大切さが叫ばれるようになっていますが、まだまだ全体の流れを大きく変える動きには至っていません。
そして、ペーパーテストで高得点を上げる人=正解を正確かつ迅速に出すことができる人に高い評価を与えているのが日本の教育の実状です。そこでは自分で考えて行動するという経験は問われません。
じつはこうした詰め込み型の学習は、知識の習得という意味では非常に効果があります。
もう一つは――そちらのほうが大きな問題ですが――、正解だけを教える詰め込み型学習の限界です。
偏差値が高い(だけの)人は、誰かがすでに解いている既知の問題には強いのですが、解法パターンが通用しない、自力で解かなければならない問題に対処する力が弱いということが、しばしばあります。しかし、探しても正解が見つからない問題にどう対処するのか。いま本気で求められているのは、そうした問題に答えを出せる人材です。
しかしそうした問題に対処することは、それまで自ら考えて動き、失敗しながら考えをさらに深めていくような経験をほとんどしたことがない人には、たいへんなことです。そのため社会に出てから大きな壁にぶつかって苦労している人がたくさんいます。
本当に優秀「はものごとの本質」を突き詰めて考えているタイプの人たちです。彼らは優等生タイプの人に比べると、知識量や解答にいたるまでのスピード、ミスの少なさでは劣るかもしれませんが、そうした人と議論すると、しばしば新しい視点を提供してくれるので、ハッとさせられます。
私は、優等生が本当の意味で活躍できた時代は、1990年代はじめまでだったと思っています。実際、高度成長期を経て90年代はじめまでの日本の組織は、「優等生選抜文化」でかなりうまく運営されていたと見ています。
なぜなら、前述のように、その時代まではちゃんと「正解」と「解法」がはっきりしていたからです。
やるべき正解ははっきりしていた。そして、その正解に至るやり方、つまり「解法」もまた、よそから持ってくることで効率化を図り、さらにそれを自分たちで徐々に改良してより精度の高いものにする。これは優等生選抜文化組織の得意とするところです。
国内に正解が見つからなくても、目標と正解の見本は常に欧米にありました。
致命的な大失敗から立ち上がった戦後の日本は、戦前までの富国強兵から経済的に豊かになることへと目標を変えました。ただし目標とやり方は明確でした。かつてのように欧米のお手本を持ってきてアレンジすればよかったのです。
そうした状況下では、パターン認識に秀でた優等生は力を発揮します。パターン認識を使って短時間で成果をあげられるので、とても効率的です。実際、受験秀才を多く採用した官僚組織、大手企業は大きな成果をあげました。日本が米国に次いでGNP(国民総生産)で世界第2位になったのは1968年、戦後23年目だったことを考えると、驚異的な成果です。その後73年に発生した中東戦争に端を発した石油危機は、日本経済にも一時深刻な影響を与えましたが、電機・自動車といった産業がこの危機を奇貨として省エネを目標とするものづくりに舵を切ることで、さらなる経済発展を遂げることとなります。ここでもやるべきことは明確だったのです。
そして東京大学をヒエラルキーの頂点とした教育制度もまた、そうした人材を輩出するシステムとして機能してきました。
しかし、そのシステムが有効に機能したのは、バブルが崩壊した1990年代はじめまででした。その頃から日本が経済的に世界のトップグループになったこと、市場の成熟などで、次なる目標ややり方をよそから持ってこようにも、それが見つからない時代に入っていたのです。
そこからすでに30年の時が経過しました。その間、世界が大きく変化しています。本来なら変化に対応した人材を育成するとともに、人材の評価の方法、組織の形も変えていく必要があります。しかしそうした対応をせず、ズルズルと後退し続けているのがいまの日本の現状だと私は見ています。
私にはこの1960年代の台湾からの留学生の姿と、優等生文化で育った日本の人たちがダブって見えます。「正解」をそのまま吸収することが学びであるという文化の中で育っていると、それ以外のやり方があるということすら気づかなくなります。そして実際に、そうした人材が評価され続けてきたわけです。
私はテレビで東大生がクイズをやっているのを見て馬鹿にしている。出ている東大生は記憶力がよいのだろうが、失望にたえない。彼らと今の日本をつなげること自体が間違っているのだろうが、今の日本を象徴しているように思える。新しいことは異端児から生まれる。異端児の持つエネルギーが世界を変えていく力となる。しかし、異端児は社会に拒絶されてきた。それは自分たちの持つ利権が危うくなるような嫌悪感が働くからだろう。しかし今の日本には異端児を育てることしか方法はない。社会が異端児を見出し育てることをしなければ日本はこのまま沈んでいくだけなのだから。