最近、Bリーグの試合をスカパーで見ることがよくある。日本人もうまくなったものだと思う。実は私とバスケットボールは縁が深い。バスケットバールをしたのは小学校の高学年の時である。ポートボールという競技でバスケットボールの小学校版だった。ゴールにはサッカーのキーパーのような人がいる。私は私は体格もよく、うまかった。今でもあるのだろうか? 中学に入ってバスケットボール部に入った。でも先生が厳しくて一年生の時に辞めてしまった。三年生の時に、校長先生が来てバスケットをやってくれと頼みに来た。しょうがなく町の大会に出ることにした。その時バスケットボールは同じ先生だったが、「おっ、また来たのか」と言っただけだった。小さな町なので三チームしか大会には出ていないが、圧倒的な差で勝った。一試合は20点以上の差で、もう一試合は相手は2点しか取れなかった。町で勝ったので群に行くことになった。すぐ負けるだろうとみんな思っていたのだが、3位になって県大会に行くことになった。しかし、県に行くにはホテルに泊まらなければならない、予算もないことから辞退した。
高校に進学した時、群の大会で優勝した中学校のメンバーが4人入っていた。私はバスケットボール部に入るつもりはなかったが、運動部に入らないと応援団に入らなければならず、しぶしぶバスケットボール部に入った。一年の後半に試合に出て二年の時はスタメンに入った。三年の春の大会が高校最後の試合で、地区大会で優勝した。その時、クラブの担任は国語の先生だったが、授業中にその時の話をした。驚くべきことに私のことをほめたのだ。クラスメートは授業の後いろいろ言ってきて私はまんざらでもなかった。
大学に入ってバスケットボールは止めた。一年の時、誘われて社交ダンスクラブに行ったが、そんなダンスなんか合うわけもない。「あなたならリフトアップできるわ」なんて言われたが、柄にもない。一日でやめた。
東芝セラミックスに入って、町のバスケットボールチームに入った。なにか汗をかきたかったのだ。週に一回6時から8時まで町の体育館で練習し、クラブチームの大会に出た。でも酒を飲む機会が増えただけだ。町の大会に出て、決勝の4試合目でアキレス腱を切った。29歳の時だった。手術をしたのだが完璧には戻らなかった。片方がそれを補うので、35歳の時に卓球をしていて片方のアキレス腱を切った。これで普通になったが、無理をしなくなった。ただ普通のスポーツをするには十分だ。
私は33歳の時にバレーボールをしていて、Bクイックをした後の着地で半月板を損傷した。手術を使用か迷ったが、しなかった。もう競技なんかしないと思ったからだ。もう半月板は痛くない。走ることもできる。十分だ。スポーツは結構できる方だ、でもスポーツで何かやろうとしたことはない。体が丈夫であればいい。疲れた時も、自分に頑張れと言えればいい。