いつだったか、私はKCCに呼ばれて韓国に行った時のことだった。私がAQMで三年目くらいだっただろうか。KCCは建築用のボードや窓ガラスを作っている大企業だ。そこに石英るつぼの製造設備があった。そこを案内してくれたのがキムだった。彼はソウル大学を出てKCCに入社していた。そこが私とキムの初対面であった。石英るつぼの装置はとんでもないもので、これでは作れないだろうというと、作れなかったといった。誰がやったのかと聞いたら松尾さんという人だと答えた。松尾さんは東芝セラミックスの秦野の研究所でSiCを担当していた。なぜ彼なのだろう?松尾さんは小国の人に電話して情報を得て作ったようだが、やったことのない人ができるはずもなかった。
その後、少しして三光ガラスが石英るつぼをやりたいとコンタクトしてきた。なぜチャミスルの瓶をつくっている会社がと思ったが、OCIを含めて太陽電池事業に進出していた。AQMも太陽電池バブルで軌道に乗り始めていたし、立ち上げて3年、そろそろ社長を辞める時だなとも思っていた。実は事業の立ち上げを経験すると、その快感に勝るものはないのだ。次々と困難な立ち上げを経験したくなる。AQMは周という中国人に社長を譲って自分は又新しいチャレンジをしたくなったのだ。
韓国の益山(イクサン)というところに工場を建設した。会社の名前はクオーツテックだ。その時、キムを技術兼通訳として呼んだのだ。装置を設計して発注し、立ち上げを行った。設備は連続で半導体でも通用するラインを組んだ。溶融装置の電源をE-TECH(三光ガラスの子会社)の電気担当に頼んだのだが、まったく作動しなかった。私の言うことなど聞いていなかったのだ。韓国人というのは日本人と異なる。言った通りにしないのだ。なぜそんなことをしたというと、私がしてもいいといったというのだ。そんなことを言っていないのにもかかわらずだ。
設備投資が15億円、なかなか黒字にならなかった。販売は営業部が担当していたから、気にもしなかった。私はただの技術顧問だ。経営には携わっていない。三年くらいたった時、キムが私にすべてをやってくれと言い出した。私は困惑して返事をしなかったのだが、キムが上に言ったのだ。クオーツテックの副社長が慌てて飛んできて私との契約を破棄するといってきたのだ。私はそろそろ潮時だと思いやめることにした。キムはそのままクオーツテックに残った。
キムとはその後も付き合っている。今彼はナベショーコリアを設立し、余姚の製品を売っている。最近売り上げが伸びてきていて彼の名前も知られるようになってきた。彼の結婚式にも出て奥さんとも知り合いである。