2005年は私が自分の会社を作った年である。その年の7月に倉元製作所を辞めた。その当時の倉元製作所は創業者が脳溢血で倒れ長男が後を継いでいた。創業者が辞めれば会社は信用を失う。私は倉元製作所で最後のテストをしていた。自分一人で事業を立ち上げれるかを試したのだ。石英ルツボを始めるときに、なんでもそうだが、新しいビジネスモデルを作らなければ新規参入はできない。それができれば私の修業は終わりだ。中国に製造させ、日本で品質管理をして販売するというビジネスは成功した。もう倉元製作所に残る理由もなかった。
東京でフェローテックの賀常務とあった。その当時、フェローテックにも石英ルツボを納入していたので何だろうと思ったのだが、中国で石英ルツボを作らないかということであった。フェローテックは私が入社すると問題が出るのではないかと心配していた。私には都合がよかった。自分で独立して中国で石英ルツボを作る。私は二つ返事でやりましょうと答えた。
そこで倉元製作所に辞職届を出し、辞職した。自分で会社設立の本を買って書類を作り合資会社ナベショーを設立した。無限責任社員は私、役員には元JSQの杉浦さん、コイズミ市場開発の清水さん、それと妻の4人であった。資本金2万7千円の会社である。規模はどうでもよかった。ただ会社組織にすることが必要だった。ナベショーという名前は、おやじが渡部商店という何でも屋をやっていたが、それを畳んで深谷に来たので、私が復活させただけだのだが渡部商店ではちょっとダサいので、ナベショーにしたのだ。
私は10月に中国杭州市に行った。続きは明日。