ブリジストン リストラ

7〜10分

 ブリヂストンは16日、タイヤ工場など世界で約160ある生産拠点を2023年までに19年比で約4割減らすと発表した。タイヤは汎用品の拠点を重点的に減らすほか、非タイヤ事業では事業売却などに伴う拠点の削減も見込む。タイヤ事業では中国勢などとの価格競争が厳しく収益が悪化。20年12月期は69年ぶりの最終赤字に転落しており、生産体制を抜本的に見直す。

 ブリジストンは、石橋正二が足袋からタイヤを作ることにした時から始まる。その当時はアメリカやヨーロッパにすでにタイヤメーカーがあり、日本にまだないという状況であった。しかし足袋メーカーがタイヤメーカーになるというのは相当に大変なことだっただろう。一代で財閥を築き上げたが、最近は創業者一族から経営者は出ていない。ブリジ宇トンに何が起きているのだろう?

 1999年、ブリヂストンは海崎社長のもとリストラを断行した。そのリストラに反対した野中元課長は社長室で割腹自殺したのである。この事件はニュースで大々的に報じられた。そのころから「会社に忠誠を尽くしても、利益至上主義のもとでは社員は単なる歯車に過ぎない」という時代になった。リストラは創業者以外の経営者にとって常套手段になった。 

 ブリヂストンの「パワーハラスメント大魔王」としてその名を轟かすグローバルCEO 石橋秀一(創業者とは関係がない)が独裁者としての本領を発揮している。2020年12月期決算が69年ぶりとなる最終赤字に転落すると、工場閉鎖と人員削減による大規模リストラを断行する計画をまとめた。同時に、石橋をトップに引き上げてくれたはずの前CEO津谷正明と、その子飼いでCOOだった江藤彰洋を3月末で追放。ブリヂストン社員らは、パワハラ大魔王改め「首切り大魔王」の影に怯えている。

 石橋をトップに起用した津谷は9年前の12年にCEOに就任すると、前任者で会長に就いた荒川詔四、ナンバー3としてCOOに昇格した西海和久とともに「3頭体制で経営していく」とトロイカ体制を宣言。しかし、翌13年には荒川を「病気療養」を理由に会長ポストを剥奪して相談役に追いやった。当時、荒川は「業界の会合などで健康そうに見えた」といい、荒川会長の下で、自分がナンバー2に見られるのが許せなかった津谷が荒川を排除したとの見方は強い。荒川の〝過去の行状〟を論い、多額の退職金と引き換えに退任を迫ったのは公然の秘密だ。そして津谷は今回、その報いを受けることになった。

 津谷は19年、ナンバー2の西海を退任させるとともに、後継者として江藤を社長に昇格させて、自らはCEOとして続投、院政を敷く構えだった。この時、副社長から副会長という〝上がり〟のポストに追いやられた石橋は怒涛の巻き返しを図る。石橋はもともと津谷に近かったが、業績低迷を巡り江藤の責任を追及する一方、津谷に対しては、五輪最高位のワールドワイドスポンサーを獲得した功績を強く喧伝。結果、石橋は昨年、津谷の後継者としてCEOに就任、社内抗争を勝ち抜いた。

 なんか中国の政権抗争を見ているみたいですね。ブリジストンは創業者の意思を守り続けるより、内なる権力抗争に走っていたのでしょうかね。創業者の石橋正二氏はこういっている。「

 なんか中国の政権抗争を見ているみたいですね。ブリジストンは創業者の意思を守り続けるより、内なる権力抗争に走っていたのでしょうかね。創業者の石橋正二氏はこういっている。

 時世の変化を洞察して時勢に一歩先んじ、よりよい製品を創造して社会の進歩発展に役立つよう心がけ、社会への貢献が大きければ大きいほど事業は繁栄する。

 そして彼は利益を社会貢献につぎ込んだ。だからブリヂストンというブランドが国民に親しまれるようになった。もう一度創業者の言葉を肝に銘じるべきではないだろうか?

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