このブログでも再三にわたって書いているのだが、抗がん剤を拒否している義理の兄は今病院の中にいる。家族も親戚も悲観しているようだ。今回はこのことについて考えてみたい。医者はがん患者に対してこういう治療をしますとかいうわけだが、最近はセカンドオピニオンなどにより、患者も治療方法を選べるようになってきた。治療も選べるのだが、最も重要なことは自分の人生の最後を選ぶことだ。
もう義理の兄には親は他界し、子供二人は結婚し孫もいる。退職し普段やることもない。いつ死んでもいいと考えるのは納得できる。いや普通の人は納得できないだろう、長く生きることがいいと思っている人も多いからだ。でも私は彼の考え方を理解している。彼の妻はかなり参っているらしい。ふと思い出したのは彼らが飼っていた犬が死んだときのことだ。ずいぶんショックだったらしく二度と犬は飼わないといった。犬が死んだら、また飼えばいいと思っていた私とは考え方が違う。生き物は必ず死ぬ。生死を冷静に考えたほうがいいと思う。
日本ではあまり宗教の教えを聞く人が少なく教育でも哲学を論じることもない。ましてや仕事において使うこともない。でも生死はこの世に生まれてきた時から考えるべきものではないだろうか?死を考えることで生が輝くのである。そしてそれが自分を自立させるのだ。
私はやりたいことがある。だから健康に気を遣う。でも死ぬときはあきらめる。残された人のことは考えない。死んでまた私は新しいことを始めるのだ。ちょうどドラゴンクエストの主人公からファイナルファンタジーの主人公になって違う世界に転生するみたいな。