ピアノ王子の凋落

8〜12分

北京市朝陽区警察は同日、次のように発表した。  <近く、朝陽公安局に通報が入り、ある人物が同区の一角で買春行為を行っているという。この通報を受けて警察が捜査に乗り出したところ、違法な売春行為を行っていた女性は、陳〇卉(29歳)で、違法な買春行為を行っていた男性は、李〇迪(39歳)と判明した。瞬く間に「買春で捕まったのは李雲迪らしい」「よりによってショパン・コンクールの優勝者発表の日に捕まるなんて」といった書き込みが、ネットやSNS上に拡散したのだった。翌22日からは、中国メディアが一斉に、実名で「著名ピアニストの犯罪」を報じ始めた。

李雲迪は、1982年10月7日に内陸部の重慶で、庶民の李川氏の長男として生まれた。幼少時からアコーディオン演奏が好きで、4歳の時には四川省少年少女アコーディオン大会で優勝した。7歳の時に、両親が中古のアップライトピアノを買ってやり、ピアノを習い始めた。  2年経って頗る進歩を見せ、本人も「将来はピアニストになりたい」と言い出した。そこで、両親は四川音楽学院の著名な但昭義教授のもとに連れて行った。但教授は「年を取りすぎているし、手も小さい」と言いながらも、演奏を聴いて個人レッスンを引き受けた。数年後、北京にある中国最高峰の中央音楽学院付属中学を受験したが、不合格。四川音楽学院の付属中学に入学し、引き続き但教授についた。  1995年、李雲迪はアメリカのストラビンスキー・ピアノコンクールに挑戦し、少年少女部門の3位に輝いた。香港経由で帰国し、深圳に立ち寄った時、但教授ともども、深圳芸術学校への入学を勧誘される。学費免除どころか、住居を提供し、国際コンクールの参加費用もすべて持つという条件で、李雲迪と但教授は深圳芸術学校に「転校」したのだった。  それから5年経ち、「奇跡」が起こった。世界のピアノ界でまったく無名の深圳芸術学校に通う18歳の李雲迪が、第14回ショパン・コンクールで優勝したのである。前回と前々回は「優勝者なし」だったから、実に15年ぶりの優勝者だった。

李雲迪は、「何と純粋無垢なショパンの響き」と絶賛された。まさに当時は、キムタクとそっくりの顔をしていて、長髪を振り乱して華麗にショパンを弾くエキゾチックな青年に、ヨーロッパの社交界は騒然となったのだ。  その後、李雲迪はドイツのハノーバー音楽学院に留学した。同時期に留学していた知人の音大生は、こう語っていた。  「彼はもう一度、古典音楽を学び直したかったようだ。だが周囲がチヤホヤして、夜ごとどこかへ呼ばれるので、勉強どころではなかった。ドイツ語はむろん、英語もほとんど話せず、キャンパスでは中国人留学生としか話さなかった。卒業時の演奏会を聴きに行ったが、『18歳の時のほうがよかった』という評価だった。本人もそれは自覚していたようで、卒業後は中国に帰国した」

 高度経済成長時代に突入していた中国は、李雲迪の優勝を機に、空前のピアノブームが起こった。親たちは自分の一人っ子を「第二の李雲迪」にしようと必死になり、ヤマハはインドネシア工場から、中国へ向けて怒涛のようにピアノを売った。  李雲迪は、そんな中国人のヒーローだった。多くのコマーシャルなどに登場し、いつもどこかのイベントに呼ばれていた。  2010年、李雲迪の「ショパン・コンクール優勝10周年記念コンサート」が、北京の中国国家大劇場の大ホールで盛大に開かれ、共産党幹部たちも鑑賞した。彼らは演奏が終了すると、「李雲迪はこの10年、一体何をやっていたのか」と酷評しまくった。それでも本人と対面すると、形式的な挨拶を交わしていた。

 中国でも人気は衰えず、ローレックス、B&O、GEORGIA、カサディ、サムスン、日産自動車、トヨタ自動車、京東、金科など、数多くの有名企業のブランドのイメージ・キャラクターを務めていた。これらも今回の一件で、水泡に帰してしまった。  中国演出業協会も10月22日、李雲迪の除名要求声明を出した。除名されれば事実上、中国国内で演奏活動ができなくなり、ピアニストとしての生命を絶たれることになる。  この一件に関する中国のニュースの中で、私が何より哀しかったのは、81歳になる恩師・但昭義教授のコメントだ。  「とても腹が立っているし、心が痛むよ。李雲迪は公人であり、各方面に厳格な行動が求められる。こんな大きな過ちを犯してはいけないよ・・・」  

 中国は芸能人に対し攻撃を続けている。「最近、一部の芸能人が法の尊厳にまで挑戦することが頻繁にあった」「世の中から賞賛された人々は幻想の中で生きていてもはや自分の道を見つけることができない」と非難している。「共同富裕」のスローガンで富裕の象徴である芸能界に逆風が吹いている。

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