多くの老人は、ワクチンを心待ちにしている。失礼ながら私から言わせてもらえば、出歩かない老人より、出歩く若い者や労働者を優先にすべきではなかろうかと思う。少なくとも平均寿命を過ぎた人にはワクチンは要らないのではないだろうか?
80歳の人が病院に行って、「できる限りの治療を」と医師に頼む。医師は「高齢なので無理をしない方が」という。こんな会話が普通だ。なぜ老人は生に執着するのだろうか?もちろん死が怖いからだ。我々は死の本質を知らない。死について説明しているのは宗教だけだ。イスラム教の人は自爆テロで死んだら天国に行けると信じている。仏教も良い行いをすれば極楽浄土に行けるという。しかし、普通の人は宗教など信じていないのだ。ほとんどの人が得体のしれない死後の世界におびえているのだ。しかし、すべての生き物は死を避けることはできないのだからもがいてもしようがないことである。
若いうちに死を意識した人は、若い時に人生の目的を探すことが多いようだ。目的を定め、それに向かって生きていく。目的を達成したら、残りの日々をまた目標を設定して過ごす。こういうように生きてきた人にとって、死はそれほど怖い存在ではないのではなかろうか? 普通の人は充実とは全く違う生き方をしている(失礼な言い方かもしれないが)ので、他の人から見れば「生きる価値」があるのかと思われてしまう。まあ人生に価値とかあるのかということも不明だが、少なくとも仏教では生まれてくれば、それぞれに目的があるという。しかし、生は死と同じように謎だ。
私は数年前まで、よく飛行機に乗った。乗れば落ちることなど考えないが、まあ落ちたらしょうがないなと思う。考えるだけ無駄だ。しかし一部は飛行機が落ちないかと不安になる人がいる。飛行機は自分が整備したり操縦したりするわけでもないので、落ちたらしょうがないことなのだ。
我々は今を充実して生きる以外に手はないのだ。小さいながら目標を立て、それに向かって日々を過ごす。そんなやり方を死ぬまで続けていこう。死んだら死んだでしょうがない。