新型コロナウィルス

4〜6分

 昨日の夜、テレビを見ていたら武漢の新型コロナの初期の病院の様子についての番組があった。独りの女医が主人公のドキュメンタリーだ。

 2019年の大晦日の朝に羽田空港について、正月を家で過ごした私は2020年の1月4日に中国に戻った。その頃は武漢で新型コロナが出ているなど全く知らなかった。それを知ったのは9日ころだったろうか?武漢で肺炎で患者が亡くなったというニュースがあったからだ。知り合いの武漢に実家がある通訳に、「武漢に帰らない方がいい」と伝えたのを覚えている。

 おりしもその時期は忘年会のシーズンで、24日の大晦日に合わせて田舎に帰る人も多くいた。浙江省も武漢から帰ってきた人の感染が確認されていた。23日、アパートが来週からロックダウンされるとの噂があった。独りで、言葉も通じないところでロックダウンなんて….。私は終節の二日目、25日に日本に帰る決断をした。朝、黄に電話した。黄は「その方がいい」と言って、私の決心は決まった。27日の杭州行きの高鐵のチケットを取り、杭州のホテルを予約し、28日の日本行きの航空券を取った。高鐵も、ホテルも、飛行機もすいていた。すでに新型コロナのことはみんな知っていた。

 雨の降る寒い月曜日だった。アパートからバスに乗り駅に行く。駅はすいていた。すでに武漢はロックダウンされていて、道路も封鎖されていた。行けるのだろうかという不安があったが、すんなりと杭州東駅に着いた。そこから地下鉄でホテルの近くまで行き、歩いてホテルに行った。入り口で体温を測られチェックインした。次の日、タクシーで空港まで行った。空港は閑散としていた。飛行機に乗ると乗客は20人くらいしかいなかった。

 私は一か月ほど日本にいて、2月の末に中国に戻ることにした。中国の感染状況が落ち着いてきたと判断したからだ。上海に着き、普通に高鐵に乗ってアパートのある駅に着いたが、そこでホテルでの二週間の隔離をするように言われた。それはまだ上海では隔離政策が出る前だった。

 それから一年。新型コロナは終息していない。武漢で起きたときにすぐ対応していればと、誰でもが思う。自分の出世、面子、それによって隠ぺいするという許しがたい行動が世界で300万人近くの人を死に追いやったと考えると、怒りがこみあげてくる。

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