今日書いたブログは非常に人類の未来を悲観する内容だった。それに対し違和感を覚えた人も多いのではないだろうか?
もし新型コロナの一万倍感染が強く、一万倍も毒性が強いウィルスを遺伝子操作で作ったとして、それに感染した人を飛行機に乗せて海外に送ったとしたら?
1347年10月、モンゴルの大軍が、黒海の港町カッファを包囲していた。陥落寸前のところで、市壁ごしに死体が投げ込まれた。モンゴル軍がカタパルトで投射したのだ。石弾ではなく、人間の死体、もちろん何の被害もない。ところが、翌日、状況は一変する。市民がバタバタ倒れだしたのだ。症状はみんな同じ、発熱して意識混濁になり、数日で死ぬ。皮膚が黒ずむ者もいた。
15世紀、スペインは中南米に戦争を仕掛けた。でも中南米が負けた原因は天然痘だった。それでほとんどの人が死んだ。
天才ノイマンは原爆を作った。それは長崎と広島に落とされた。世界は今、人類を何回も殺すほどの核を持ってる。
テクノロジーは人を幸せにしてきたのだろうか? その問いに正解はない。しかし、言えることはテクノロジーは人を不幸にする力も持っているということだ。私が問うのは政治家の良心ではない、技術者の良心だ。テクノロジーは人を幸せにするのか、技術者は常に自分に問いかけなければいけない。