ビザの資料として自分が出願した特許をまとめてみた。日本の特許データベースに寄れば69件あった。東芝セラミックス時代は21件。実際はもっとあったのだが。
特開昭58-168267は世界で初めての低α線フィラー材である。ICのソフトエラーの原因がパッケージからのα線であることを初めて示したものだ。私が東芝セラミックスに入社して2年目の時であった。特開昭58-213686は石英焼結体に窒化ケイ素をコーティングしたもので、それから20年たって太陽電池用多結晶シリコンの角槽で使われた技術だ。フランスのベスビアスは日本でこの特許を出したのだが、20年前に私が出願していたとは思いもしなかったらしい。特開昭59-047744はICパッケージの充填剤で球状シリカを使うという特許だ。今では当然のことだがその当時は画期的なアイデアであった。特開昭60-137892は低アルカリ石英ルツボの特許で、私を世界で有名にした特許だ。その時私は27歳。米国GEができなくてベル研に開発を依頼した画期的な製品だった。その後、石英ルツボの内面透明層を開発したのだが、東芝セラミックスを辞める時でもあり、わざと特許を出願しなかった。
その後の信越で最初に出した特許が、ダイヤモンドコーティングをしたワイヤーソーである。これは25年後に実用化された。どうも私のアイデアは理解されないらしい。信越化学での最高の特許は特開平04-310530の合成ルツボの特許だ。なんとそれが主流になったのはそれから15年後だった。
その後の特許で有名なのが、特開2001-233628の水ガラスから合成石英粉を作るというものだ。その後、20年を経て私が中国で実用化するまで、この技術は誰にもできなかったのである。
私にとって特許は自分を有名にするための一手段だった。お金になったことはない。すべての会社は私の特許のコピーだ。15年前、私は特許に対して失望していた。誰もが私のコピーをして私にお金を払わなかったからである。売り上げを上げていた会社も私にお金を払わないどころか賞状の一枚もくれたことはなかった。
さて、特許をビザ取得のために使うということだが、中国ではこの件数には驚くようだ。内容なんかわかるはずもない、件数だけ見ているのだ。まあいい。自分で自分を褒めるしかない。