今年最初の石英の話

3〜5分

1906年に高純度の砂から半透明の石英ガラスを作るために、イギリス・ロンドンにサーマル・シンジケートが設立された。J.E.ボトムリー博士の発明した方法であったが、これは鉄製の外枠の中に黒鉛電極を設置し、黒鉛棒の周囲に石英粉を詰めるという方法だった。

1910年、ニューヨークに工場を作り、半透明と透明の石英ガラスの製造を開始した。

1922年、この不透明の加工品はガスランプに革命を起こした。サーマルシンジケートはさらに開発を進め、1930年代にさらに水素溶融法により、光学用石英の生産に乗り出す。また1950から1970年代には世界初の合成石英の生産を開始した。

サーマル・シンジケートの飛躍期に入社したのが、ケネス。ヘンダーソン・ジャック博士だ。石英に携わる者なら知っていて当然の人なのだが、もう知っている人は少ないだろう。彼は合成石英のプロジェクトを担当した。石英ルツボも彼の時代に作られたが、もっとも有名な開発はプラズマ溶融による合成石英の開発であった。彼がサーマル・シンジケートにいたのは7、8年だけだったが、石英の技術を画期的に進めたことは皆が認めるところだ。

TSLグループは1988年にサンゴバングループになり、今はその社名はない。

ほとんどの石英製品は1900年から1970年に行われたと言っていい。それから50年たってもそれほど進歩したとは言えない業界だ。それはやはり人材不足なのだ。ケネス。ヘンダーソン・ジャック博士は、金属、セラミックス、石英に堪能だった。構造解析や理論を熟知していた。それに比べ、今の石英技術者はレベルが低い。もう一度、原点に返り誰もやったことがないことに挑戦できる人材を呼ぶべきである。

天才と呼ばれる人は若い時から天才だ。その天才が努力をして挑戦するから新しい技術が生まれる。そういう人の出現を待っているのだが。

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