旭川医大の話

5〜8分

 

新型コロナウイルスの感染が拡大した北海道旭川市でクラスター(感染者集団)が発生した11月上旬、重症ではないコロナ患者の受け入れを巡り、主に重症患者の担当だった旭川医科大学病院が緊急に受け入れを検討したところ、医大の吉田晃敏学長が許可しなかったと古川博之院長が朝日新聞の取材に証言した。古川院長は「受け入れを検討したが学長の意向を受け結果として見送った」と話している。

 古川院長が吉田学長に受け入れを報告したところ、「許可しない。大学が受け入れるべき対象ではない」と言われたという。11月13日に面談した際は、「『受け入れてもいいが、その代わりお前がやめろ』と言われた」という。

 「地下鉄サリン事件は,1995年3月20日月曜日に起きました。聖路加国際病院では,毎週月曜日に,私たち幹部が朝7時半から会議をしています。その会議中に,地下鉄で事故が起こったという電話が警察からあり,医師を10人ほど派遣しました。一方,地下鉄の駅前を車で通りかかった人が,倒れていた重症患者を車に乗せて聖路加にやってきました。

 それを聞いて救急センターに下りていくと,そういう患者が続々と来はじめていました。そこで私はすぐに,当日の手術予定の患者で,すでに麻酔がかかっている人以外は全部手術をやめること,それから外来は全部断るという指令を,勇気を持って出しました。これは大変なことだと思いましたから。

 その後も救急車がどんどん来て,2時間くらいの間に640人の患者のトリアージをし,重症と中等症と軽症とに分け,病院のどこへ入れるかを決めました。心肺停止の1人は手の施しようがありませんでした。そのほかに呼吸停止の人が2人いました。来院した640人のうち,入院時呼吸停止だった1人が1か月後に亡くなりましたが,入院した111人のほとんどが,翌日あるいは3日目くらいまでに退院しました」

 地下鉄サリン事件の時の聖路加国際病院理事長の日野原重明氏である。こういう人徳者が多ければ日本の医学は安心だが。

 日本の大学病院には「医療者」と「医学者」がいる。当然出世するのは「医学者」だ。研究して論文を出した方が出世する。しかしそれだけではだめで、ゴマすりや御届け物も必要である。ヒエラルキー型社会においては、反旗は「村」からの弾き飛ばされることを意味する。それは日本社会に共通する掟だ。若い人はインドの若者たちのようにカースト制度に縛られないIT産業に従事しようとするものが多いが、ここにはヒエラルキー構造がないためである。

 さて本題に戻そう。旭川医大の学長の問題は、医大の中のヒエラルキーの頂点に上り詰めた男の医師の本質の欠如であろう。それは最初から持ち合わせていなかったのか、医大で徐々に失っていったのかはわからないが、この人にはないということだ。私には医大の改革をどうするなどという発想はない。ヒエラルキー構造にいない私にとっては考えるだけ無駄だ。

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