日本海側は大雪のようです。

3〜5分

 群馬県みなかみ町では7時の段階で202cmを観測。新潟県湯沢町で181cm、青森県・酸ヶ湯で170cmに達したとのこと。私の生まれ故郷の山形県の小国町は112㎝であった。

 今でも覚えているのは昭和38年の豪雪だ。小国町の中心で4.5mの積雪があった。私の生まれた叶水地区は5mを越えた。でも叶水は12月から5月まで陸の孤島だったので、別段気にもしなかったのだが、ある時、学校でお菓子をもらった。これが救援物資だったと後で知った。道は人が歩いたところだけの細い雪道。道のそばには細い木が立っていた。これを「サイミン棒」と呼んでいた。ここを踏む外すと腰まで雪に入り込んだ。「かんじき」という木のつるで作った靴に取り付けるペンギンのフィンのようなものをつけて歩いたものだ。それでも天気の良い日に見れるダイヤモンドダスト、特に夜空におきると、それはそれは美しかった。雪が多く降るところの住民にとって春は格別な喜びだ。5mもの雪をブルドーザーが雪をかいて道を開けてゆく。一日に進めるのは100mあるかないか。そのブルドーザが陸の孤島を解き放つ。

 昭和52年の豪雪もあった。私が高校生の時だ。休みで家に帰っていた私は下宿まで帰ろうとして、日曜日の朝、10km離れた駅に雪上車で向かったのだが、2,3km行ったところで故障し、動かなくなった。そこで雪道を走った。駅に着くと同時に列車が着いた。その日はその一本しか列車は走らなかった。バスケットボールで鍛えた脚力があった。

 今は埼玉にいるが、雪はめったに降らない。若い時代に過ごした山形時代、雪は戦いだった。しかし、雪の間、家で空想にふけることは有意義だ。そして迎える春の感激は何にも代えがたいものだ。

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