今日は私の誕生日である。誕生日を祝うような歳でもないが、私の生まれた昭和30年の時の平均寿命は63.6歳だから、65歳なんて相当なおじいちゃんだと思っていた。65年間、あっという間だった。
山形の雪深いところに三人兄弟の末っ子として生まれた。11月から5月まで交通手段は雪の上を歩くしかなかったような辺境の地だ。毎日テレビばかり見ていた内向的な末っ子が今では日本を飛び出て海外で暮らしている。どこでも暮らせるのは生まれたところより過酷なところがないせいだろう。子供のころ、村のはずれにあの世の入り口なるものがあり、近づくのが怖かった。それほど死というものは身近に存在していた。
病気がちだった私は、親からも期待されず、家業の手伝いをさせられていた。勉強しろと言われたことがなかった。内向的な性格で自分の殻に閉じこもっていた。性格を変えなければいけないと思ったのは高校に入った時だ。高校は親元を離れ下宿をした。バスケットボールに没頭した。進学校だったが一生懸命勉強した覚えはない。勉強なんて馬鹿にしていた。でもテストの成績は良かった。「ガリ勉で成績が良いのはダサい」などという風潮だった。
受験勉強などせずに大学に入った。そんな調子だから将来に関する夢など持ち合わせていなかった。工学部だったが、文学に傾倒した。哲学を語る工学部の学生など掃いて捨てるほどいた。目的がない時代だった。

意図せずに大学院に進んだ私は、失恋もあり研究に没頭していく。4本の論文を学会誌に投稿した。研究すればするほど自己顕示欲が増すような世界だった。そういう世界を嫌悪しながら走り続けなければならない。
私のサラリーマン技術者時代はライブドアブログに書いたとおりである。そろそろ独立してからのことを本ブログに書こうと思っている。もうそろそろ時効だろう。50歳から65歳までは「中国編」だ。私の人生は、「幼少編」「学生編」「技術者編」「世界編」「中国編」と続いている。これからは「前期高齢編」「後期恒例編」と続くのだろう。人生100歳。あと35年。まだ35年ある。