老害でしょうかね

6〜9分

 昨日、自分の出した特許について特許データベースで調べたといいましたが、思い出深い特許がありました。

1982年に出願した「窒化けい素コーティング膜を有する溶融シリカ質焼結体の製造方法」は、【特許請求の範囲】が「気孔率が5~25%である溶融シリカ質焼結体に窒化けい素をコーティングしたことを特徴とする窒化けい素コーティング溶融シリカ質焼結体」というものである。 太陽電池のマルチシリコンを育成するときに溶融シリカ室焼結体に窒化ケイ素を塗って使用するのはご存じだろう。ベスビアスが同じ特許を出したのが、この出願の20年後である。ベスビアスは自社の特許侵害で日本を訴えたが、私の特許があるために通らなかった。特許の期限が切れていなかったなら逆に訴えられることになっただろう。

同じ年、「溶融石英質充填剤」を出願している。これはICパッケージの充填剤である石英ガラス粉のウラン、トリウムが20ppb以下という特許だ。これは世界初めてというより、その当時のICパッケージの主流はセラミックパッケージであり、エポキシ樹脂のパッケージ自体が珍しかった。ジェミニ宇宙船に搭載されたICのソフトエラーがウラン、トリウムのα崩壊によって発生するα線によって起こることを推定して書いたのだ。東芝セラミックスの特許担当者が全く理解できず審査請求しなかったという落ちもある。その数年後、低α線フィラー材は世界の最先端技術となったが、東芝セラミックスが先頭を走ることはなかった。

1983年に出願した「石英ルツボ」は【特許請求の範囲】が「Na、K、Liのアルカリ金属含有量がそれぞれ0.2 ppm以下、Cuの含有量が0.02ppm以下であり、かつ1450℃における粘性が10^10ボイズ以上であることを特徴とする石英ガラスルツボ」これが有名な、低アルカリルツボT-230Uの特許である。月の売り上げ2億円を20年間続けた製品だ。ウェハーのOSFが石英ルツボから溶出するアルカリと関係があるという推定から、電気分解法で作ったものだった。ガラスは高温では液体とみなすことができ、電気分解できることから作ったものだ。

これらはすべて東芝セラミックスで出願したものだが、公開前に取り下げたものや、1982年以前のものを含めると東芝セラミックスでは60件ほど出願したのではないだろうか?私が30歳前に出したのであるが、筆頭発明者はすべて私である。いかに自己顕示欲が強かったかを思うと少し恥ずかしくなる。

東芝セラミックスを辞める時に書かなかった特許がある。それは透明層付き石英ルツボだった。今でもこれ無しには単結晶シリコンは上がらない。それだけインパクトのあるものだと知っていたので書かなかった。

なぜこれだけの独創的なことがこの会社でできたか、それは自由だったからだ。今の日本企業を見てみると、開発は何とかプロジェクトというものを作って組織でやるのが普通だ。そして計画書を作成し、予算を取ってやる。昔はそんなことはなかった。材料を別な課からもらってきて、自分で装置を組んで試験していた。人・モノ・金なんかなくてもやっていた。

こんなことを書くと、年寄りは昔の自慢話ばかりをすると言われそうだ。いやいや、いまでも独創的なことにトライしている。まだまだ新しいアイデアがある。老けるには早い。

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