「カルヴィニズム」とは16世紀、フランス出身の神学者カルヴァンが宗教革命でスタートさせたプロテスタントの一派です。カルヴァンはそれまでの堕落したキリスト教を原点に立ち返らそうと、聖書を丹念に読みこみました。そこで神の「圧倒的な偉大さ」を見出し、抽出したエッセンスがこの信仰の中心となっている「予定説」です。それは「神さまに救済される人間は最初からすでに決められている」という考えかた。この考えかたはのちのピューリタン革命やアメリカ独立革命など、世界史上の民主主義革命を動かす、**人類史上強力な力を持つ思想となりました。
「予定説」では、善人がよいおこないを積めば天国に行けるかというと、そうとはかぎらない。悪い人が悪いおこないをしつづけたって地獄に行くともかぎらない。
後天的な努力や悪行によってはひとりひとりの運命は変えられないし、変わらない。神は最初から、救うべき人間を、トップダウン式に、独断で、一方的に決めていると考えます。神の決めることはとうてい人智の及ばないことであると、「予定説」は神の「絶対的な偉さ」を担保したのです。
「予定説」では、だれが神に救われる人なのか、自分もまた救われる対象なのか、それがわからないようになっています。わからないと、どうなるでしょうか。
不安になります。私は死後に救われるのか。救われるかもしれないし、救われないかもしれない。もし救われなかったら、二度と生まれ変わることができない(これはカルヴィニズムの人々にとって何よりの恐怖なのです)。
「予定説」は神の偉大さを担保すると同時に、人々の不安を駆りたてるエンジンとしてうまくできていました。
「私は救われる人間である」という確信をもつために、「救われることになっている人間がやるべきことをやっていよう!自分が救われる人間であるなら、神の教えにしたがって、常日頃正しいおこないに努めているはずだ!」と、自らにいっさいの贅沢や快楽を禁じたのです。
遊びや享楽には目もくれず、少しでも気を抜いたりひまがあったりすると不安に駆られて、神に定められた天職にせっせと勤しむようになりました。
その結果として、利益を得て、お金持ちになることは、天職を与えたもうた神の栄光を証明することになるからよしとされたのです。
自分が救われる人間であるという確信を強くするには、労働の対価である利益がどれだけ多いか、その「量」も重要になります。
人々は片時も休まず、定刻で働き、納期は死守するというように、自分を厳しく律することになりました。「おちおちサボっていては救われないぞ」と。時計産業がカルヴィニズムの本場スイスで発達したのも偶然ではありません
日本人は神を信じているのだろうか?おそらく信じてはいない。少数派で宗教を信じている人たちがいるが、宗教に没頭するあまり、この世での生産性に寄与していない。大多数の無心教派は生きることの意味を考えない。昔の日本人には生死感というものがあった。これは時代が不安定だったからだ。今の日本でも不安を感じている人は多いだろう。しかし、その不安が生きる原動力になっていない。これは周りに見えない壁があるからでもあるだろうが、その壁をぶち破るエネルギーがないのが理由だ。エネルギーをそいでいるのは日本社会に渦巻く足の引っ張り合いだ。爆発的なエネルギーを持つ人に対する恐れがそれをさせている。
さて、2019年ももうすぐ終わる。2020年はどんな年になるだろうか?若い人が自由に自分の才能を開花できる年になればいいが。